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『普通』や『常識』という言葉と偏見




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『普通』や『常識』という言葉と偏見

どーもしばっちょです。

 

ぼくたちって頻繁に「普通はさー」や「そんなん常識やろ」と言いますよね。この言葉言ったこと無い人なんていないと思うんですよ。たまに自分も言ってしまいます。

相手をおちょくる時に

「こんなことも知らんのけ~?(笑)常識やろ(笑)」

と、わざと使うことは結構ありますが。 

 

『普通』とか『常識』って言葉には、その人の偏見が含まれていると思いませんか?

 

「普通に考えたらわかるでしょ」 

「常識的に考えたらこれやろ」

「普通でええよ、普通で」      

 

これらの言葉って全部、話し手の主観がかなり影響していると思いませんか?聞いている側からすれば、

「お前の『普通』は俺・私の普通じゃない」ってなりません?

さらに言えば、「俺の普通じゃない」って思うという事は

その人自身にもその人だけの『普通』が存在して偏見を持っている事になりますが。

 

日常生活でもよく耳にする

ちょうど先日、高校の同級生が自分の下宿先に泊まりに来て夜ご飯に鍋をすることになりました。そいつのあだ名は【ゴリラ】。鍋に入れる材料を買いに行くため近くのスーパーへ。鍋に合いそうな材料を順番に選んでいく。それは野菜を選んでいる時でした。白菜、ネギ、玉ねぎ、大根、にんじん、チンゲンサイ、、、

ゴリラ「はあ?お前にんじんとかチンゲンサイ、鍋に入れんの?普通入れへんやろ」

 

出ました。『普通』

 

高校の時からゴリラの事はずっといじっていたので、ここはあえての無視。

野菜を選んだ後、次に向かったのはお肉コーナー。僕が手に取ったのは豚肉でした。

その時です。

ゴリラ「いや鍋にいれるの普通鶏肉やろ!」

 

 出ました。こんなに短時間で2回も。

 

皆さんもこんな風に、『普通』って言葉使った事ありませんか?ありますよね絶対。お分かりかと思いますが、このゴリラが言っている『普通』というのは、ゴリラが小さい頃から今に至るまで、自分の家で食べてきた鍋に入っていた材料のことを指しているわけです。

母親が作ってくれる鍋には、にんじんやチンゲンサイは入っていなかった。豚肉ではなく、いつも鶏肉が入っていた。だからゴリラからすれば、僕が選んだ材料は『普通』じゃなかったわけですね。

ゴリラの『普通』という言葉には、ゴリラの主観が反映されているわけです。

このように、一人ひとりが持つ『普通』という観念は、それぞれ全く違うものです。これを意識していないと、知らないうちに人を傷つけてしまう事だってあり得ます。

だから僕は、『普通』『常識』という言葉を使うときには最善の注意を払うようにしています。

 

枠組みごとに異なる『普通』や『常識』

上述したように、個人単位で『普通』『常識』の観念は違います。

個人から視野を広げて考えてみると、

家族、通っている学校、働いている会社や工場、自分の住んでいる近隣、市区町村、都道府県、国、大陸ごと、地球の南北、etc....

によっても『普通』『常識』は全然違います。

日本人は家に上がるとき靴を脱ぎますが、アメリカの人たちは靴を履いたまま家にあがります。

日本には四季がありますが、四季が無い国だって山ほどあります。

都道府県ごとに話し方は全然違います。

 

『普通』『常識』=偏見

だと思います。

誰しもみな偏見を持って生きているんです。

自分と全く同じ人間なんて存在しないんですから。しかし偏見を肯定するわけではありません。”偏っている”ことは良い事とは言い難いでしょう。食生活と一緒です。毎日同じようなものばかり食べていると、摂取できる栄養が偏ってしまい、体に不調をきたしますよね。筋トレでもそう。左手を鍛えずに右腕ばかり鍛えていたら、バランス悪いですよね。これと一緒なんです。

だから、自分は偏見の塊なんだということを認識した上で日々行動・発言すると、今までとは違った視点で物事をとらえることが出来ると思います。

 

何を書いてるや俺は。(ブログ運営8ヶ月後の自分からのツッコミw